「真剣に話をきくこと」について考える
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「完訳 7つの習慣 人格主義の回復」を読んだ。ベストセラービジネス書「7つの習慣」をより分かりやすく訳しなおしたものだそうだ。
「7つの習慣」って色々なところで「良い本だ!」とはきくのだけど、あまりにも厚く、それなりのお値段がするのでいまいち手が出なかった。図書館ではずっと貸し出し中だし。
たまたまAmazonを見てみたら、Kindle版が安く入手できることを発見…!電子書籍なら物理的な重さは関係ないしいいんでないの?と、さっそくぽちっとな。欲しいと思ったらすぐ手に入れられる電子書籍すごい!(けど、衝動買いを誘発して恐ろしい!!)
早速読んでみて、グサッっと刺さったのがこちらの文章。
誰かと話をしているとき、相手の話を理解しようと真剣に聴くどころか、相手が話し終わった後のリアクションを考えながら聞いていないだろうか。
ハイこれ私ー!!
「あー、またこの話が始まったぞ」とやれやれ気分になったり、「えーXXって○○なんじゃないの」とか心の中で反論しながら話をきいていることもある。相槌を打ちながらも、まったく関係ないことを考えている場合もある。
要するに話に集中してないんだな。そういうのって、話していて分かるよね。自分も「あー、この人まともにきいてないよなぁ…」なんて寂しい思いをすることあるし。なのに!自分で!それを!やってる!!ひどい話だ。
自分が理解されていると感じたとき、あなたが本心から真剣に話を聴いてくれたと感じたとき、あなたが心を開いてくれたと相手が感じたときに初めて、その人に影響を与えられるようになるのである。
ほう、なるほど…。それでは真剣に話をきくためのコツは?なんてライフハック記事を探しに行くのはばかげている。
テクニックだけを考えるのは、一夜漬けの勉強と似ている。
だから近道を探したくなる。プロセスの重要なステップを省略し、時間と労力を節約する個性主義のテクニックに引き寄せられてしまうのもわからなくはない。 しかし、成長と発達の自然のプロセスで近道をしようとしたらどうなるだろうか。仮にあなたがテニスの初心者で、格好良く見せたいがために上級者のようにプレーしようとしたらどうなるだろう。ポジティブ・シンキングだけでプロに太刀打ちできるだろうか。
自然の理に反する行為であり、近道しようとして得られるのは失望とフラストレーションだけである。
まったくその通りでございます…というしかない。
「こうすれば上手くいく」という先人の知恵は確かにある。だけど上っ面だけ真似ても上手くいくわけないんだよね。
しっかり考えを落とし込めて、場面にあった使い方をしないと「これで上手くいくはずなのに、なんで…!?」とまさにフラストレーションがたまるばかり。
小手先のテクニックに頼るのではなく、誠実に耳を傾けてみる。「私だったらこうするのに」とか余計なことは考えない。話の途中で、その人を分かった気になるのはまだ早い。
「完訳 7つの習慣 人格主義の回復」で参考になったのが、「学校なんてもうやだ辞めたい」という坊ちゃんとの対話。なんでウチの子は話をきいてくれないんだ!と怒る前に、自分が子供の気持ちをきちんとと理解できているのか?と考える必要がありそうです。
漫画版7つの習慣は小山鹿梨子先生が絵を担当しているよ!(「校舎のうらには天使が埋められている」とは違って、殺人未遂とかは起きないので安心して読めるはずだ)
天国から地獄へと一気に突き落とされる「校舎のうらには天使が埋められている(小山鹿梨子)」を読みました - 日々のこと