日々のこと

特にありません

いじめの後遺症について考える


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えこさん、暇な主婦さんのいじめ関連の記事を読んで、少し考えてしまいました。

息子が○○菌扱いのいじめを受けていました - バンビのあくび

私がいじめられていた経験と親の対応。いじめ問題について。 - 暇なアラサー主婦のひまな話

・いじめの被害者である本人が声をあげることができる
・周囲の大人の理解が得られる

これ大事!だけど、すごく難しいことでもある。

以下、ソースは私。

気弱な転校生としてなかなか馴染めずにいた→いじめっこに目をつけられる→典型的ないじめを受ける

という小中学生時代を経て、ダメな大人になりました。

いじめの被害者が声をあげるのってすっごくハードルが高い。まず「いじめられている」という事実を口に出すのがつらい。何よりも恥ずかしいし、かなりの勇気がいる。

小中学生の頃ってわずか数百人の生徒が通う学校が世界の全てで、その中から自分がつまはじきにされてしまったというのは認めたくないもの。その数百人全員から迫害されているわけじゃないけれど、被害妄想もこじらせると「ウゥ…みんなが私をヒソヒソクスクス笑ってる…!」みたいなことになるのでした。

「親や教師に何か言ったところで事態が好転するはずがない」と思い込んでしまって、「自分さえ我慢してればいいんでしょ」と諦めてしまっていた部分もある。

小学生の頃にかろうじて話ができる同級生に打ち明けたら、担任に学級会でやらかされまして。「このクラスにいじめがある!」と言い出し、数人の児童がその場で立たされて形式ばかりのゴメンナサイ。あの頃の記憶って殆どないのだけど、事態は好転しなかったことは確か。

高校進学前の個人面談で開口一番に「お前友達いないだろ」って言ってきた担任にもショックを受けた。そのあと何を言われたか覚えていない。

中学生の頃には「みんな仲良くしろ!」みたいなことを言ってくれる教師もいたけれど、そのころはもう一人でいても辛いとか悲しいとか通りこして、どうでもよくなっていたので「余計なことを言わずに放っておいて」と思ってしまった。

親とは…うーん…「今日学校でこんなことがあったよ!」というような話をした覚えがない。どちらかというと、口うるさい親だったと思うのであまり話をする気にもなれず…。
ケシゴムを散弾銃のように投げられても上履き隠されても、心を殺して淡々と学校に行っていた。「休む」という発想がなかったし、学校は行かなくてはいけないものだと思っていたから。

なぜ反撃しないのかって?そのときは「もっと酷いことが起きるんじゃないか」と怖くてできなかったんだ。

 

こうして小学生半ばから中学生まで周囲に溶け込めないまま過ごした結果どうなったのか。

「自分には価値がない」という呪いがすっかり体に染み付いてしまった。幸せに過ごすことに罪悪感がある。楽しい、嬉しい気持ちでいると自分の中で誰かが嘲笑しているようだ。

自己主張ができず、相手の顔色を伺ってしまう癖も抜けない。自分が発言することで相手を不愉快にさせてしまわないか恐ろしい。

こんなんだから人と付き合うのにかなりエネルギーを使うみたいで、自然と人を避けてしまう結果になった。

様々な本を読むなかで、「どうやら自分の価値観はゆがんでいるらしい」ということに気がついた。少しずつリハビリしているけれど、なかなか難しい。

この本は自分の中の思い込みを「いやいやそれ変だから」とツッコミを入れてくれた良書。

コミュ障をこじらせた私の特効薬となるか?「人見知りが治るノート (反田 克彦)」を読みました - 日々のことコミュ障をこじらせた私の特効薬となるか?「人見知りが治るノート (反田 克彦)」を読みました - 日々のこと

 

学生時代のいじめ問題がすっきりしないまま大人になった人ってたくさんいると思うのだけど、どうやってみんな折り合いをつけて過ごしているんだろう?

 

クラスで浮いた存在でありながら、いじめ首謀者に立ち向かえる菜々芽ちゃんみたいな子はレアだよなぁ…。

校舎のうらには天使が埋められている(1) (講談社コミックスフレンド B)

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レビュー記事はこちら。

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