『渚にて 人類最後の日』❨ネヴィル・シュート❩感想。人類の終わりに向けて、淡々と日々は過ぎていく
【スポンサーリンク】
ネヴィル・シュート『渚にて 人類最後の日』を読みました。
「落ち着いた雰囲気の終末もの読みたいな~」と思っていた時に、その手の小説まとめ記事あたりから知って購入した。
実際読んでみたら、その期待にドンピシャ。心地よい満足感を得て、本を閉じることができた。
目次
しんみりとした気持ちで人類の終わりを眺める
『渚にて 人類最後の日』は近づきつつある人類の終わりをしんみりと味わう小説だ。
カレンダーを眺めながら「あぁ、そろそろ夏休みも終わりなのか」とか、沈みゆく太陽の様子に「今日ももう陽が暮れるな」と思うさみしいような、名残惜しいような、あの気持ち。
そんなトーンで「はー……もう人類も滅亡か……」とページをめくる。
個人的な趣向ですが、うっかりすると「暗い」と言われてしまいそうな小説が好きです。
地球・人類がじわじわと滅亡に向かう終末もの、全体主義的なディストピア世界。何かに疲れたときにページをめくると、静かな世界に心が癒される。
『渚にて 人類最後の日』のあらすじ
舞台は第三次世界大戦を経て北半球が壊滅した世界。
核戦争を生き残ったアメリカ海軍の潜水艦スコーピオン号は南半球に位置するオーストラリアのメルボルンに寄港する。
放射線汚染が比較的軽微なメルボルンでは、戦争の被害を受けずに多くの市民が日常を過ごしていたが、じわじわと放射線による汚染の脅威が忍び寄っており……。
そんな中、アメリカ合衆国シアトル付近からモールス信号が発信されていることが判明。スコーピオン号は生存者がいる可能性を求めて、北半球へと旅立つ。
淡々と紡がれる日常
滅亡を前にした人々は、果たしてどう過ごすのか。ショーウィンドウを破壊して品物を強奪?やけになった人たちによる暴力があふれてしまうのか?
核戦争後の世界というと、マッドマックスか北斗の拳かというようにサバイバルを描く作品が思い浮かぶけれど、『渚にて 人類最後の日』ではそれらとはプロットが異なっている。
主となるのは、メルボルンでの日常。静かに、そして急速に死の気配が近づいてくる。
もっとも、人はこんなときでもつい平素と同じようにしてしまうものかもしれないが
決して「来年」は来ないだろうに、人々は畑の世話をし、子供の成長を気に掛ける。
淡々とした文章のトーンが心地よい。
静かな気持ちで人類の終わりに浸りたい方にぜひ。
関連記事
全体主義国家の暗黒時代を描いたディストピア小説の先駆け。
トランプ政権設立で突然人気が出た『1984』が出版される30年前に、ソ連の作家エヴゲーニイ・ザミャーチンによって書かれています。