「先生を教室でユスるべし」過激で、真面目で、楽しい三島由紀夫の『不道徳教育講座』
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三島由紀夫ってこんなにくだけたことを書く人物だったのか。個人的には気難しそうなイメージを持っていたもので、この『不道徳教育講座』はなんとも意外な一冊だった。『不道徳教育講座』が週間明星で連載を開始したのは、「金閣寺」が第8回読売文学賞受賞をした翌年の1958年。「宴のあと」が1960年の作品だから、まさに脂の乗りまくった時期に書かれたものだ。
この『不道徳教育講座』では、思わずギョッとするような章タイトルが並んでいる。
「『殺っちゃえ』と公然と言えるようになったら、陽気で爽快だ」「先生をユスるには教室で、お巡りさんをユスるなら交番で、GIをユスるなら立川の基地の中で」こんな調子で69章の『不道徳教育講座』は続いていく。
『不道徳教育講座』では不道徳を勧めつつも、うまいことひねって道徳的なオチに持っていく。様々なテーマをうまく料理していく手腕はさすが。
ユーモアたっぷりに説く『不道徳教育講座』は、逆に三島由紀夫の真面目さを強調しているようだ。
お気に入りの講座は「大いに嘘をつくべし」というもの。「どうせ嘘をつくなら『親には学校行ってると言いつつも、実はサボってスケートリンクへ行っていた』なんて月並みなことをせずに、『スケートリンクへ行っていたと言いつつ、実は学校へ行っていた』というのはどうか」というのはしゃれがきいてる。「テスト前に『勉強してないよー』と言いつつ高得点」よりもいやらしさが少なく感じるのは何でだろう。嘘をつく相手が親だから?
「できるだけ己惚れよ」という章も面白い。例えば、こういうことを書いている。
己惚れとは、一つの楽しい幻想、生きるための幻想なのですから、実質なんぞ何もいりません。あくまで主観的問題ですから、他人の評価など別に要りません。
己惚れ屋にとっては、他人はみんな、自分の己惚れのための餌なのであります。
ここまで言い切ってしまうと気持ちいい。
己惚れ屋は、見栄っ張りに比べて哀れっぽくなくていい。どこか痛快で、憎めない。そう言われてみると、己惚れっていいものに思えてくるような気さえしてくる。
6種類の馬鹿の分類も愉快だ。馬鹿といわれても悔しいどころか「自分はどこに当てはまるかな」なんて考えてしまう。
どうせ死ぬことを考えるなら威勢のいい死に方を考えなさい。できるだけ人に迷惑をかけて派手にやるつもりになりなさい。これが私の自殺防止法であります。
「人に迷惑をかけて死ぬべし」より
「人に迷惑をかけて死ぬべし」のこの結びを読むと、三島由紀夫の最期をどうしても思い出してしまう。まさかこの講座の11年後、1970年に割腹自殺をすることになるとは、本人も想像していなかっただろうな。