『コンテナ物語』を読んで思う、標準を決めることと浸透させることの難しさ
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「標準を作るのは報われないよ」
これは、職場で仕事の最中の聞こえてきた言葉。 そうなんですよ、標準を作るのは報われない。
『コンテナ物語』を読んでいて一番共感したのは、「標準となるものを決め、浸透させるのがいかに難しいか」というところでした。
目次
私たちの身近にある「コンテナ」
例えばホームで電車を待っているとき。通過していく貨物列車に乗せられた、こういう箱を見たことありませんか?
それから、街を歩いているときに見かけたトラックに連結されていたり。港に停まっている巨大なタンカー。
この本で扱う「コンテナ」とは、あの巨大な箱のことです。
見かけたことがない人が少ないほど、コンテナは私たちの身近に溢れています。 このなんでもない巨大な箱が、物流を根本から大きく変えてしまったのです。
コンテナが普及させるまでの苦労に「分かる……」
コンテナが生まれたのは1956年。
1950年代も終わりにちかくなると、コンテナは輸送業界の話題をさらうようになっていました。
が、しかし。
海運事業を行っていた各企業の使うコンテナのサイズは、自分たちに都合のいい大きさで作られていたのです。
例えば、パンアトランティック海運のコンテナは「ニュージャージーの母港へ向かうハイウェイで認められた最大サイズ」の35フィート。
マトソン海運の場合、同社のメイン荷物であるパイナップル缶を運ぶのには適していない。重くなってしまいすぎるから、あえて小さめの24フィートを採用していた。
それでは「あの船にはちょうどよく収まるけれど、この船には収まらない」ということが起きてしまいます。トラックや列車も同じです。これではコンテナの普及が行き詰まりかねない。
こんな無秩序極まりない状況から、コンテナを普及させるため統一の規格を作ろうと米海事管理局(MARAD)は一九五八年に決意をします。
とはいえ、各社それぞれの事情があり、すんなりと話がまとまる訳はなく。「うちは例外にしてくれ」とわがままを言う企業が出てきたり、「なるようになる」と政府を説得する企業まで現れる羽目に。
結局、標準のコンテナサイズを決めるのにアメリカでは3年を費やすことに。 そして国際標準化機構ことISOでも、コンテナサイズの国際規格を決めるために激論が続くのであった……。
この辺りのエピソードは、社内標準の策定に関わったことがある人なら、各部門の調整に苦労したことを思い出すことでしょう。
「標準」というものは、迷惑がられても、有難がられることは少ない。そして、メリットがないと対応してもらえないんですよね。
最後に
『コンテナ物語』では、コンテナの誕生からコンテナを物流にどのように適応させていったのかということまで描かれています。船舶、港湾、トラック、そして物流に携わる人々に変革が訪れていく様子は、読んでいて圧倒的に気持ちいい。
果たして1つの発明がどのように世界を変えていったのか。『コンテナ物語』は、物流業界に興味がない方でも好奇心が十分に満たされる書籍です。